9 世界の農業生産・農産物貿易の変化と食糧自給の意義






 8章では日本の農業生産や農産物貿易の変化を戦後の歴史を踏まえて考察した.本章では,農産物ごとの生産量や貿易量の変化を追うことによって,世界の農業生産・農産物貿易変化の特徴について考察する.最後に8-9章の議論を踏まえ,世界農業が今後どのように変化していくかについての概略的な予測を行い,食糧自給の意義について考察する.

9-1 世界の農業生産の変化

 FAO Production Yearbookに掲載されている品目のうち,1970年と1990年のデータを用いると,8品目で窒素・リンに換算した全生産量の70%を超えると計算された.これを根拠に1950年から1994年までの44年間について,8品目の生産量変化を計算し,世界の農業生産の傾向の概略とした.この結果を図9-1に示す.なおサトウキビについては窒素・リン含量についての資料が得られなかったため,同じイネ科の大型植物であるタケノコの成分値(香川, 1995)を用いた.





 まず,全体の変化を見ると,戦後の世界農業生産は,年度ごとの変動はあるものの,順調に増加してきたことが分かる.1990年代に入っても伸びはやや鈍くなってはいるがやはり生産の増加は続いている.
 次に作物ごとの変化を見てみる.1950年にはコムギ・コメ・生乳で約半分を占めている一方,1994年にはその比率は約4割に減ってしまっている.一方サトウキビ・オオムギ・ダイズ・トウモロコシの伸び率はコムギ・コメに比べて高く,現在の農業生産において主要な農産物となっていることが分かる.オオムギ・ダイズ・トウモロコシはその主な用途が家畜の飼料であり,人間が直接食べるためのものではない.また,サトウキビも砂糖の原料となる加工用の農産物である.したがって戦後の世界農業は,人間が直接食べる物ではなく,間接的に消費するための加工用農産物の生産がより急速に増加したことが分かる.
 FAO Trade Yearbookによる1970年と1990年のデータを用いると,窒素・リンの双方について,コムギ・トウモロコシ・ダイズ・ダイズかす・オオムギ・コメの6品目で農産物貿易量合計の70%を超えると計算された.この6品目を対象とし,1952年から1993年までの41年間についてその貿易量を窒素に換算した結果を図9-2に示す.




 まず,全体の変化を見ると,戦後の農産物貿易は1980年まで農業生産を上回る割合で増加している.しかし,1980年代以降はその勢いを緩め,農業生産よりも低い伸び率となっている.
 次に作物ごとに見てみると,終戦直後1950年代の国際貿易はコムギ中心であったことが分かる.しかしその後,トウモロコシ・ダイズ・ダイズかすの貿易量は急速な伸びを見せ,1970年代には3品目の合計でコムギを上回るまでになっている.前節でも述べたように,これらの作物は主として家畜飼料に利用されるものであって,人間が直接食べる分はごく一部に過ぎない.したがって,戦後の農産物貿易は農業生産と同じく加工用農産物の増加が著しい.さらに,その傾向は農業生産よりもはるかに顕著である.このことから,他の輸入国においても日本と同様に,主食用穀物から畜産物へという食糧消費構造の変化が起きたと推察される(8章参照).

9-3 考察

 前章では日本の農産物貿易および農業生産変化において,畜産物消費量の増加にともなう飼料作物需要の増加が大きな支配要因となっていることを指摘した.前節までの結果を見れば分かるように,こうした傾向は世界の農業生産および農産物貿易にも明確に表れており,飼料穀物の生産および貿易は他の品目より急速に増加している.これは,世界経済の成長によって先進国において農産物価格が相対的に低下し,より加工度の高い品目へと消費傾向が移っていったことによると考えられる.畜産物は加工度の高い食品の一形態に過ぎず,経済の成長にともなって,加工ずみ食品や外食などの消費量も増加する(Wessel , 1984および食料・農業政策研究センター, 1995).つまり,経済が成長するにつれ一人当たりの食料供給に必要とされる農産物は加速度的に増加する.
 中国は現在急速な経済発展を遂げつつあり,これにともなって畜肉の消費量は急速に増加している.これは世界の人口の5分の1を占める中国国民の食糧消費構造の変化と,それにともなう農産物需要量の加速度的な増加を意味する.伸び続ける人口を抱えた中国はすでに飼料用穀物の自給を放棄し,外国からの輸入を開始した.一方,図9-1と図9-2を見れば分かるように,食糧消費構造の変化にともなう貿易量の増加は農業生産を上回る勢いで進行する.しかし世界の農業生産はすでにその伸びを緩め,将来にわたっても需要量の増加に見合うだけの増産が可能になるとは考えにくい.こうした状況下では飼料用穀物の価格は高騰し,わが国の食糧需給にも深刻な影響を及ぼすと考えられる.これが現在注目されている中国危機論である(Brown, L., 1995).

 実際に中国国民が日本と同じくらいの食肉を消費するようになったとき,どのくらいの飼料用作物が必要になるのであろうか?具体的な数値を用いて簡単な計算を行ってみよう.飼料用穀物としてはトウモロコシとダイズを取り上げる.
 まずトウモロコシであるが,1994年度,日本は1686万tを輸入している.一方飼料用トウモロコシの国内生産はほぼゼロであるから,日本のトウモロコシ需要量は約1700万tとなる.したがって,中国の人口を日本の約10倍の12億人とすると,必要なトウモロコシは約1億7000万tとなる.1994年の中国におけるトウモロコシの生産量は1億355万tであるから,差し引き6000万t以上のトウモロコシを輸入によって賄うことになる.世界全体のトウモロコシ生産量は約6億tであるから,現在より10%多くのトウモロコシが必要になる.また,6000万tという量は,1994年度のトウモロコシの世界貿易量の合計(6900万t)にほぼ等しい.
 つぎにダイズについてみてみよう.1993年度日本は503万tのダイズを輸入している.ダイズについても飼料用の国内生産はほぼゼロであるので,日本のダイズ需要量は約500万tとなる.したがって,中国の需要量はその10倍,5000万tとなる.1994年度の中国のダイズ生産量は1633万tであるので,差し引き約3300万tを輸入によって補うことになる.これは世界全体のダイズ生産量1億3700万tの約25%にあたり,1993年度の貿易量合計(約2900万t)を上回る量である.
 さて,今後の飼料穀物生産量の推定であるが,世界銀行やFAOは,過去の増加率から外挿して今後の生産量を予測する方法を採用している.これによれば,1980年以降の平均増加が今後も続くとして線形回帰による予測を行うと,2008年にはトウモロコシの6000万t増産,2011年にはダイズの3300万t増産が可能となる(FAO Production Yearbookより計算).日本は1950年からほぼ30年ほどかけて現在のように大量の飼料作物を輸入するようになったので,中国の食糧需要の増加に対応することは十分可能ということになる.こうした計算結果を根拠として,世界銀行などは将来の食料供給は安全であると発表している.
 しかし,過去の生産量の推移をそのまま延長することは果たして可能であろうか?そのためには戦後の世界農業において急速な増産が実現した要因を検討しなければならない.


9-4 余剰穀物が発生した要因

 戦後の農業生産が急速に増加した要因の中には,多収量品種の開発や化学肥料・農薬類の開発と生産増加などといった技術的な要因があったことは確かである.しかし,それは一側面に過ぎず,アメリカ合衆国やEU諸国において農産物の過剰が問題となるほどに生産が増加した理由の説明とはならない.一方,日本をはじめとした食糧輸入国が安価な食糧を大量に購入することができたのは,余剰農産物の存在があったからにほかならない.
 余剰農産物を発生させるほどの生産増加が起きたのは,各国の農業政策(特に価格政策)に原因があると考えられている(犬塚, 1993).補助金付きの輸出奨励政策や国内農業保護政策は無秩序な生産増加に結びついて大量の余剰穀物を発生させ,国際農産物価格を押し下げる結果となったのである.しかし,豊富な農外投入資材を利用して限界まで収量を高める集約的な農業生産により,土壌侵食や水質汚濁,農用化学物質による健康被害などがすでに世界各地で深刻化している.また,各国は農業保護政策による財政負担の増加が問題となり,財政の圧縮のために補助金の削減を始めている.こうした事情を考慮し,すでに主要農業国は,限界に近いほど高い収量を目指すのではなく,投入資材を減らしたより持続的な農業生産を行う方向へと政策を変更している.以下に各国の農業政策の変化について簡単に見てみる.

EC(犬塚, 1993;矢口, 1995)

 ヨーロッパ各国の農業政策は,1920年代以降一貫して国内自給の達成を目指してきた.これは対外収支の悪化によって,農産物輸入による外貨負担が工業原料の輸入に支障を来たすようになったことによる.対外収支の改善のためには,その原因となっている工業の不振を解消し,より発展させることが必要となる.農産物は本来自給可能なのであるから,不足分は国内で供給するべきであって,貴重な外貨は工業設備・原材料の輸入に回すべきだというわけである.こうして各国は関税率の上昇や国内産コムギの混入比率制度などの国内農業保護政策をとり,ほぼ輸入禁止に近い状態となった.
 こうした農産物自給政策は,ECの統合が行われた後も継続した.価格の安い輸入農産物に対しては,域内農産物価格との差額を課徴金として徴収し,逆に過剰となった域内農産物に対しては国際価格との差額を補助して輸出を行うというECの共通農業政策は,国際市場と域内市場を完全に隔離する強力な農業保護政策である.こうした政策は,単なる農業者の保護を目的としたものではなく,食糧自給への明確な意図によるものと考えられる.
 しかし,1980年代に入るとEC諸国は軒並み自給を達成し,ついには穀物輸出国へと変貌した.農業保護政策のもとで農業者が急速に生産を増加させたためである.このことが原因の一端となって世界的な穀物余剰が発生し,農産物貿易問題が激化した.一方,余剰農産物は補助金を支給して輸出されることになるため,EC財政の負担を増加させる結果となった.さらに,自由貿易の実現を目指すガットウルグアイラウンドにおいて国境措置や価格支持を含む貿易歪曲的な農業保護政策は国際的な批判の対象となっていた.このため,ECは1992年の共通農業政策(CAP : Common Agriculture Policy)の改革によって支持価格を大幅に引き下げ,環境保全型農業の導入とひきかえに農業者への直接的な所得補償をおこなう,というデカップリング政策を導入している.
 デカップリングとは生産品目やその量・価格に無関係に農業保護をおこなうことで,農産物の生産・価格・貿易に与える影響を断ち切る("decouple"する)というものである.世界貿易においては,自由貿易主義を基調として,各国の市場歪曲的な農業保護政策を撤廃する方向に向かっている.しかし,一方的に支持価格を引き下げたり関税化を行うと,零細な農業者や条件不利地域の農業の存続を不可能にする.このため,持続的で環境保全的な形での農業生産の維持を直接所得補償によって実現しようとするのがECのデカップリング政策である.

アメリカ合衆国(Board on Agriculture National Research Council, 1992;犬塚, 1993;服部, 1993)

 アメリカ合衆国が農産物価格の支持と生産増加を政策によっておこなったのは,工業製品の競争力が低下して対外収支が悪化する中で,農産物は数少ない国際競争力を持つ商品だったからである.合衆国は,発生する膨大な貿易赤字を削減するための主要輸出産業として,自国内の農業育成を行った.具体的には1973年農業法以降の農産物価格支持と,農業者への所得補償にその姿勢が表れている.その制度とは次のようなものである.
 収穫期の穀物価格が一定水準よりも低ければ,農家は穀物を担保として次回作のための農外投入資材の購入費用を政府から借りることができる(このときの穀物価格を融資単価と呼ぶ).もしその後市場価格が融資単価を上回れば農業者は穀物を政府から引き取り市場に穀物を売却する.逆に市場価格が融資単価より低ければ,担保となっている穀物はそのまま政府に引き渡され,政府に融資単価で売却された形となる.融資単価より市場価格が低くなれば市場に出回る穀物は少なくなり価格は上昇する.こうして一定以上の市場価格が維持される(価格支持制度−農業者が売却する穀物価格の下ささえ).一方政府は穀物に目標価格(融資単価より高い)を設定し,農業者の売却価格(市場価格と融資単価のうちの高いほう)が目標価格を下回った場合にはその差額を農業者に支給する(不足払い制度−農業者の所得補償).
 しかし,価格支持と不足払いという保護政策を受けるためには,農業者は政府の生産計画に参加しなければならなかった.その内容は,農家に対し一定の減反面積を確保した上で,作付け品目と作付け面積を割り当て,その面積については他品目の作付けを認めない.従わない場合には支持価格や不足払いなどによる補助金を受けられない(基礎面積規定).という厳しいものであった.こうした硬直的な作付け管理政策によって,農業者は一定面積で最大限の収量を上げるために集約的な農業生産を行うようになった.また,基礎面積規定によって実質的に連作が義務づけられ,輪作によるマメ科植物の利用などを含んだ従来の持続的農業生産体系を破壊し,投入資材の多投によって環境問題の深刻化を招いてしまった.
 一方,農業保護政策によって,1970年代の合衆国農業は順調に生産・輸出増加を達成した.しかし1980年代にはいると,EC諸国の食糧自給政策がもたらした,余剰穀物の発生による補助金付き輸出の増加,振興農業国(カナダ・オーストラリア・アルゼンチンなど)の生産増加によって,国際農産物価格が下落し,合衆国の輸出競争力は低下したために,同国の穀物輸出は激減した.このため政府は1985年農業法において,融資単価を引き下げて強引に穀物価格を低下させることで,輸出の増加をはかった.しかし,輸出シェアの回復は達成されたものの,融資単価の下落によって不足払い額が増加し,巨額の財政負担をもたらした.  以上のような財政の悪化と環境問題の発生への反省から,合衆国は農業保護の削減と持続的かつ経済的な農業生産を目指して,農業政策を大きく転換した.その内容は以下のようなものである.

<環境問題対策>
・受食度の高い農地に対する土壌保全型の農法の採用,土壌保全プランの作成と実行の義務づけ.従わない場合は政策保護を受けられない(85年農業法).
・湿地の農地転用を禁止した.従わない場合は政策保護を受けられない(85年農業法).
・侵食を受けやすい農地の約半分を土壌保全のために10年間休閑地とする.政府はそれらの土地を所有する農業者にリース料を支払う(85年農業法).
・使用量制限のある農薬の使用について記帳の義務づけ(90年農業法).
・地下水汚染を起こしやすい農地における水質保全助成計画(90年農業法).
・持続型農業(LISA)に向けての研究への予算配分(90年農業法).
<財政支出削減>
・不足払い面積の削減(90年農業法).
・目標価格および融資単価の引き下げ(90年農業法).
・作付け許可面積(減反分を除いた農地)のうち,指定作物以外の自由な作付けを行える弾力化面積の設定(90年農業法).
・目標価格の設定と減反を両軸とした不足払い制度の廃止(96年農業法).

 新しい農業政策は,農産物価格の上昇によって競争力が増加し,農業保護政策をとらなくても農産物輸出を行えるようになったからである.生産計画と価格政策の廃止は,市場価格に応じた農業生産を招き,農産物の備蓄量の低下と価格の不安定化につながると考えられる.また,環境保全型の農業体系の普及は一定の収量低下をもたらすと思われる.

ニュージーランド(嘉田, 1996)

 ニュージーランドは世界でも有数の農業条件に恵まれ,高い生産性を誇っている.羊毛や乳製品の輸出価格は世界一低く,しかも欧米諸国のような輸出補助金の恩恵をまったく受けていない.しかし,厳しい国際農産物市場の中で輸出を続けたことで国内の農地は荒廃し,すでに土壌侵食や水質汚染の問題が顕在化している.こうした現状を受けて,ニュージーランドの農林省は持続可能な農業システムを目ざして政策を転換し始めている.

 以上3つの例を見れば分かるように,世界の余剰穀物の発生と極端に低い国際農産物価格は,各国の財政支出をともなう農業保護・輸出促進政策と農外投入資材の増加や環境問題をともなう無理な農業生産によるものであったことが分かる.農業国の政府はこうした事実を踏まえ,生産志向型から持続型・環境保全型の農業へとすでに大きな方向転換を行っている.こうした状況を踏まえると,将来の農業生産が過去と同様「順調に」伸び続けるとは考えにくいといわざるを得ない.


 途上国の食糧自給システムは,対外収支の改善を目的とした商品作物の単一栽培(モノカルチャー)によって破壊された.しかし,綿花・コーヒー・ココア・バナナ・天然ゴムといった商品作物は供給過剰となって価格が暴落したために,対外収支は一向に改善しない一方で,農産物輸入は継続しなければならず,さらに対外債務を増加させるという悪循環に途上国は陥っている.飢餓は人口の増加や干ばつが原因であると思われている.しかし,途上国が飢えているときでも,世界的に食料が不足していたわけではなかった.穀物余剰と飢餓が共存するという事態は途上国に食糧を買うための外貨がないということから起こる.商品作物を輸出して食糧を輸入すればよいという考え方は国際分業論がもとになっている.しかし,プランテーション作物の価格暴落により,途上国では国際分業に基づいた経済発展という図式はすでに破綻しているといってよい.したがって,飢餓になれば食糧援助をすればよいという安易な対策を取っても構造的な問題解決にはつながらない.途上国にとってまず何よりも必要なのは,安定した経済発展を支えるだけの食糧自給力をつけることである.これはEUの歴史を見ても分かることである.とくに,国際的な食糧需給が厳しさを増すと考えられる状況では,国内産業を発展させ,経済を成長させるために,まず途上国自身の食糧自給力を高めることが必要であろう.

 すでに述べたように,一般に経済の発展とGNPの上昇にともない肉食が普及し,飼料穀物の需要は急速に増加する.すべての国が均等に経済を発展させるのならば問題はないが,中央アフリカや中央アメリカに分布する国々では,現在でも依然として貿易・財政赤字に苦しみ,近い将来に急速な経済発展を遂げることは難しい.こうした最貧国と呼ばれる国々と,東南アジアを中心とした経済成長の著しい国との間で経済格差が広がり,第3世界の内部でも分裂が起こりつつある.このままの状態が続けば,たとえ食糧生産が順調に増加したとしても,国際穀物価格は高い水準で推移するであろう.増加し続ける人口を抱えた最貧国でさらに飢餓が深刻化し,大量の経済・飢餓難民が発生するなど,深刻な国際問題となる恐れがある.世界市場で自由主義経済を守り,なおかつ最貧国における深刻な飢餓と難民の発生を防ぐためには,何よりも各国が食糧の自給に努め,世界の食糧生産にある程度の余裕を持つことが肝要となる.