8 日本における農業生産・農産物貿易の変化






 6章でみたように,現在の日本は飼料穀物を中心として大量の農産物を輸入している.その原因とは何であろうか.本章では,第2次世界大戦後史に沿って日本の農業および農産物貿易の時間変化を追うことで,現在の農産物貿易を支配している政治・経済・社会条件について考察する.

 戦後史およびその農業との関係を通観するための参考文献としては,中村隆英著『昭和経済史』および暉峻衆三著『日本農業100年の歩み−資本主義の展開と農業問題−』を用いた.また,農業と関連の深い食糧消費構造の変化については,食糧・農業政策研究センターによる『食糧消費構造の変化』を参照した.これらの文献によると,日本の戦後史は大きく以下の4つの時期に分けて考えることができる.


1. 終戦〜1950年代前半(昭和20〜30年)−戦後混乱期−

 アメリカ合衆国による占領下で,壊滅的であった経済の復興が進められた.
 農業部門では,民主化と食糧自給を達成するために,農地改革をはじめとした自作農育成政策がとられた.しかし,冷戦の激化によるGHQの対日政策方針転換と地主の反対によって,農地改革は土地の所有権移動に限られ,農地の統廃合は進まなかった.このため,日本農業の特徴である零細性はそのまま保存されることになった.また当時の生産性は低く,食糧供給には海外からの食糧援助・輸入に頼らざるを得なかった.


2. 1950年代後半〜1970年代前半(昭和30〜50年)−高度経済成長期−

 アメリカ合衆国から独立.朝鮮特需により復活を遂げた経済は,重工業を中心に更なる成長をすすめ,世界でもまれに見る経済成長を続けた.
 農業部門では,1955年にはコメの自給を達成.生産資材(肥料・農薬・農業機械)供給の増加により生産性は向上を続けた.一方アメリカ合衆国における余剰穀物の発生と国際穀物価格の下落により,穀物輸入は急増,コメ以外の穀物生産は激減した.国内でも,60年代後半になると増産政策と消費量の減少により余剰米の問題が生じ始めた.同時に,農村からの労働力流出が増加し,農村の過疎化が問題になり始めた.

3. 1970年代後半〜1980年代後半(昭和50〜平成2年)−安定成長期−

 ニクソンショックと石油ショックにより,高度成長が終焉を迎え,安定成長期に入る.重工業製品の輸出増加により貿易黒字が増大した.これにともない,アメリカ合衆国を中心とした諸外国との経済摩擦が激化し,日本に対する市場解放・自由貿易化要求が強まったため,経済成長指向と対外協調のために農産物輸入はさらに増加した.
 農業部門では,兼業化・過疎化がさらに進行した.土地・株価の高騰が進行(バブル経済),農政が目指した農地の流動化による統合と大規模化は実現されなかった.

4. 1990年代以降(平成3年〜)−「バブル崩壊」期−

 1990年2月の株価暴落をきっかけにバブル経済は崩壊し,土地・株価の下落による多大な不良債権が発生した.これにともない,銀行の貸し渋りによる企業の資金繰りの悪化が起こり,不況となった.
 農業関連では,ガットウルグアイラウンドによる一層の貿易自由化と輸入の増加で合意,コメを含む全農産物貿易の関税化が決定された.


 以上まとめると,日本農業は終戦直後の食料不足から増産,輸入量の増加と過飽和へという流れでとらえることができる.本章では以上の時期区分を参照しつつ,日本における農業生産・食糧消費・農産物貿易の時間変化を窒素に換算して見てみることにする.なお,食糧消費と関連させて農業生産・農産物貿易の考察を行うため,木材は対象としない.


8-1 食糧消費の変化

資料および検討年度

 統計資料としては農林水産省による食糧需給表(項目:純食糧)(『ポケット農林水産統計』より)を用いた.資料数が膨大な量となるため全年度にわたって統計値を検討することは困難であったため,1963年から1993年までの30年間について5年おきの変化を見ることとた.

計算方法

 今回用いた統計資料では年度によって掲載項目が変化しているため,果実と野菜,イモ類とマメ類,ムギと雑穀類,肉類はまとめて扱った.各項目の成分としては果実(その他の柑橘類),野菜(タマネギ),イモ類(カンショ:バレイショ=2:1;1963年度の統計値より概算),雑穀(その他の穀類−アワ・キビ・ソバ・ハトムギ・ヒエ・モロコシの平均値),肉類(牛肉・豚肉・鶏肉の平均),乳および乳製品(生乳)で代表した(具体的な成分値としては巻末表および香川, 1995を参照).果実および野菜は水分が多く,品目によってそれほど大きな違いはないため,一品目により代表した.このような近似は精度の高い数値を求めるためには好ましくないが,本章の目的である農業生産変化の概略の把握には十分であると考えた.

結果

 上記の方法で計算した食糧消費の変化を図8-1に示す.なお,終戦直後から1960年代前半までについては,統計資料が得られなかったため,飢餓状態から食料消費の増加という第1期から第2期にかけての特徴(食糧・農業政策研究センター, 1995)は確認することはできなかった.




 図8-1を見ると,日本における食糧消費は総量としては一貫して増加傾向にあり,第2期から第4期の間に明瞭な時期区分は認められない.食糧消費の増加分はほとんどすべてが動物タンパク源,特に畜産物(肉類・鶏卵・乳製品)である.反対に,穀類や野菜などの植物由来の食糧消費は,各項目内での増減はある(特にコメとコムギ)ものの,総量としてはほぼ一定の水準で推移している.ただし,ここで示したデータは食糧消費の総量であるので,一人当たりに換算すると穀物消費量は減少傾向にあることが分かる.我々の食生活は豊かになった,あるいは西洋化したとよく言われるが,その量的側面は「パン食に代表されるコムギ消費の増大」ではなく「畜産物を多く食べるようになったこと」であると言ってよいだろう.このような食糧消費構造の変化は,農業および農産物貿易に対し大きな影響を及ぼしていると考えられる.



8-2 農業生産の変化

資料および計算方法

 統計資料および計算方法については食糧消費と同様に行った.(統計項目としては「生産」を用いた.)


結果

 上記の方法で計算された農業生産の変化を図8-2に示す.なお,食糧消費と同様,終戦直後から1960年代前半までについては統計資料が得られなかったため,飢餓状態から生産性の向上・コメ自給の達成という第1期から第2期の前半にかけての特徴(暉峻, 1996, pp. 192-216)は確認することができなかった.グラフで見られるのはすでに日本においてコメの供給が飽和に達し,消費量もピークを迎えた後のものである.



 まず全体的な変化であるが,農業生産量の総量を5年単位で見た場合には変動がみられるものの,長期的にはほぼ一定していることが分かる.しかし,項目ごとの増減を見た場合には必ずしも一定ではない.すなわち畜産物は増大傾向に,畜産物以外の農産物は減少傾向にある.つまり,穀物消費の減少と畜産物消費の増大という食糧消費の変化に一致している.また,それらの変化過程においては,食糧消費と同様明確な時代区分は認められない.ところで,日本の畜産業は飼料穀物の大部分を海外からの輸入に頼っているので,日本の農地で生産された純粋な国産農産物と考えることはできない.つまり,日本の農地と土壌で実際に育てられた農産物,すなわち国内農業によって生産されるコメ,ムギ類,イモ・マメ類など,は長期的な減少傾向にあることが分かる.畜産物生産の増加と耕種農産物生産の減少,すなわち「穀物と肉の逆転」という傾向が続いた結果,現在では畜産物が他の農産物を量的に上回るまでになっている.過去30年間にわたる日本農業の構造的な変化は,耕種農業の衰退と畜産の台頭で特徴づけられると言えよう.この傾向は1990年代に入っても続いている.


8-3 日本の農産物純輸入量の変化


資料および検討年度

 統計資料としては農林水産省発行の『農林水産省統計表』を用いた.データ数が膨大になることおよび資料の不足により全年度にわたって統計値を検討することは困難であったため,1953年から1993年までの40年間について5年おきの変化を見ることとした.


計算方法

 成分表(表4-1参照)を用いて各項目の純輸入量を窒素換算して比較することとした.ソルガムについては4訂食品成分表(香川, 1995)のモロコシ−玄穀の値(タンパク質10.3%,窒素−タンパク質換算係数6.25)より計算される窒素含有率1.65%を成分値として用いた.野菜についてはタマネギで代表した.


結果

 上記の方法で計算した日本の農産物純輸入量の変化を図8-3に示す.なお,第1期−戦後混乱期−については統計資料が得られなかったため,図では第2期以降の変化を表すものとなっている.




 まず全体的な変化をみてみる.農産物貿易については第2期と第3期の間で,増加率の低下という明瞭な変化が見て取れる.順に追ってみると,まず1950年代前半,日本が独立した当時は,農産物輸入量は窒素換算にして現在の約10分の1と非常に小規模であったことが分かる.これはまだ産業の発展が十分でなく外貨が不足していたこと,および食糧消費が以前としてコメと魚介類中心であったことが原因と考えられる.第2期,すなわち1950年代後半から1970年代前半にかけての高度経済成長時代,に入ると農産物輸入は加速度的に伸びている.この時期にはすでに食生活の西洋化による畜産物消費量の増大が始まっている(8-1).また畜産は農政において選択的拡大の対象となり,飼料穀物輸入が自由化,無関税で輸入されるようになり,国際価格の下落と相まってコムギおよび雑穀・ダイズなどの国内生産は激減した(暉峻, 1996, pp. 227-228).コムギに加え,ダイズ・トウモロコシ・ソルガムといった飼料穀物の輸入量が急激に増加しているのはこのような背景によると考えられる.こうして1970年代前半には農産物輸入量は食糧消費量を突破し,我々が食べる以上の農産物を輸入するという異常な状況になっている.一方,第3期,すなわち1970年代後半以降,の安定成長期に入ると,農産物輸入量の増加は直線的になっている.これは,1973年の世界的な不作と石油危機をきっかけに農産物価格が高騰したこと,およびコムギ・ダイズなどの国内生産がほぼ壊滅し自給率が底を打ったことによると考えられる.しかし,食生活の西洋化と肉食の増加は依然として続き,輸入の伸びは1990年代になっても衰えを見せていない.また,近年野菜などの生鮮食料品の輸入量の急増が注目されているが(食糧・農業政策研究センター, 1995, pp. 59-81),流入窒素の量についてみればその寄与は無視できる規模であり,以前として飼料用穀物がその大部分を占めていることが分かる.
 以上の結果から,農産物輸入においても日本農業の構造的変化,耕種農業から畜産農業へという変化,が見てとれる.つまり,日本が大量の農産物を輸入するようになったのは,コムギなど人間が直接食べるためのものはごく一部でしかなく,輸入した飼料穀物で家畜を育て,その肉や乳・卵を食べるようになったためである.


8-4 考察

 前節までの結果を見れば分かるように,日本農業は全般として長期的な衰退傾向にある一方,畜産は窒素に換算すると高い生産比率を示し,日本農業の主要な部門となっていることが分かった.これは,畜産物に対する需要が増加する一方,農業の中でも高い付加価値を生産する部門として畜産に対し振興政策がとられたためである(暉峻, 1996, pp. 253-258).一方日本における畜産とは,大量の輸入飼料穀物を用いた畜肉および乳製品・鶏卵の生産であり,農地で飼料作物や牧草を育てて家畜を飼育する,という複合型の農業経営はごく少数である.酪農地帯においても,牧草地で生産される粗飼料によって飼育できる家畜の密度は限られており,経済的に成り立つために飼料穀物を購入して飼育密度を上げているのが現状である(水間, 1991, pp. 31-43).つまり,国内の畜産業は外国の農地に依存したいわば輸入資源消費型の産業であり,1987年当時で家畜の飼料自給率は26.3%,濃厚飼料に至っては10%未満(水間, 1991, p. 17)と,ほぼ完全に海外に依存している状況である.その意味で農業というよりも工業に近い性質を持っている.しかし,4章ですでに見たように,日本の農産物輸入はすでに自然状態での負荷を上回るほどに肥大化しており,人間活動にともなう負荷量の増大によって陸水の富栄養化や地下水の硝酸態窒素による汚染などの問題が生じている.畜産分野においてはその影響が特に顕著であり,家畜由来の廃棄物処理は依然として深刻な問題となっている.したがって,将来にわたり現在のままの方法で畜産を続けていくことには無理があるといえよう.
 もちろん陸水の富栄養化や地下水の汚染の原因は畜産だけにあるのではなく,肥料を過剰に投与しがちな集約的耕種農業や,都市化によって人口が過密になった地域において,十分な処理をせずに河川に流してしまう家庭排水など,原因としてはさまざまなものが考えられる.しかし,重要なのはだれが一番悪いのか,といった責任の所在を明らかにすることではなく,これからの社会構造をどのようにしていくかということである.
 現在の畜産が環境負荷を与えるからといって,肉を食べることが諸悪の根源であるということにはならない.重要なのは,どのように畜産を行ったら陸水の汚染に対する潜在的な影響をなくすことができるのかということである.また,過剰な化学肥料の施用が地下水の汚染を招くからといって,肥料を施用することが悪いということにはならない.必要なのは,どのように肥料を施用すれば地下水の汚染に対する潜在的影響を防ぐことができるのかという具体的な施肥技術の開発である.そして,そのような新しい技術が実際に利用されるようになるためには,なによりもまず採算がとれるほどの高い経済効率を持つことが求められる.影響を評価し,それに対処するという対症療法的な対応ではなく,環境や健康に対する潜在的な悪影響をなくし,なおかつ経済的にも魅力的な技術体系を作り上げ,普及することができれば,より根本的な解決につながるであろう.

 一方世界を見れば,アメリカ合衆国をはじめEC諸国など先進国は戦後の農業政策において一貫して自給力の増強を目指してきた(犬塚, 1993).現在,先進各国はかなりの程度の食糧自給を達成し,日本の自給率だけが異常に低い水準となっている(水間, 1991, p. 17).日本は重工業中心で経済効率を重視した政策をとり,工業製品の輸出による経済摩擦も原因となって農産物輸入を急増させてきたが,この背景となったのは工業の比較優位と農業の比較劣位を根拠とした国際分業論であった.しかし,現実の国際貿易においては分業体制が実現しているというよりも,ECやNAFTAの成立に見るように,よりいっそうのブロック経済化と貿易摩擦の激化が進んでいるのが現状である(佐伯, 1990, pp.80-105).そのような現実を無視して現状の農産物輸入を維持あるいは増加させることは非常識であると同時に危険でもある.他国の政策を冷静にとらえつつ日本の農業および社会構造について考え直す時期に来ていると思われる.