サイモン・ウィンチェスター著 『世界を変えた地質図』 早川書房 2004  

 解 説

   京都大学大学院  人間・環境学研究科 教授 鎌田浩毅  (かまたひろき) 

 

. 地質図の世界

 『世界を変えた地質図』は、地質図を世界で初めてつくったイギリス人ウィリアム・スミスの物語である。原題はThe Map that Changed the Worldで、邦題とほぼ同じである。欧米ではベストセラーとなり、多くの人に感動を与えた。

 地質図というのは、地表の岩石や土を表現した色刷りの図面のことをいう。地下資源の発見や防災上も大変に重要な地質図がどのようにして成立したかが、本書では見事に描かれている。地味な地質図が社会の中でいかに貢献し、世界を変えていったかについても良く理解できる。

 主人公のウィリアム・スミスは、地質学の歴史で必ず登場する重要人物である。「地層累重[ルビ:るいじゅう]の法則」と「化石による地層同定法」を確立した学者でもある。スミスが地質図を最初に「発明」したいきさつに関して、本書は初めて包括的に描いた著作である。その点でも、本書は先見性のあるテーマを取りあげたといえる。

 本書にはワクワクするストーリー展開で、地質学の黎明[ルビ:れいめい]期に地質図の誕生に関わった人々の有様が活写されている。人生の浮き沈みは、まるで冒険小説のようである。一方で、スミスの残した資料をもとに、歴史的事実をきちんとふまえた質の高いノンフィクションにもなっている。

 著者はオクスフォード大学で地質学を修めたのちジャーナリストとなった。科学、歴史、政治などの幅広い分野で著作活動を行っており、『クラカトアの大噴火』(早川書房、二〇〇四)、『博士と狂人』(早川書房、一九九九)など、多数の優れた本を出している。

 本書をさらに深く読み解くために、地質図とはどういうものか、日本における地質図の作られかた、などについて解説したい。

 地質図とは、岩石がいつの時代のもので、どういう順番で積もって地層となったのか、といったことを表現したものであり、特に、表面にある土の下にもぐっている岩石や地層について、ある規則に従って表示した地図である。地上にある土壌や建物は、表現しないことになっていて、その下にずっと続くと考えられる岩石を表すのである。これを「基盤」と呼んでいる。基本的には色刷りに印刷され、本書の記述にもあるように見た目にも美しいものである。

 地質図では、地下の構造が読みとれるような工夫がされている。たとえば、断層や褶曲[ルビ:しゅうきょく]などが書きこまれる。地層がどういう変形を受けてきたのかということが分かる。また、地面を縦に輪切りにしたような断面図が、地質図には必ずそえられている。これらをうまく使うと、地下の構造を頭の中に描くことができる。

 地質図には、薄い色で地形を重ねて刷り込んである。基盤の岩石や地層の分布を、等高線上に示すのである。地形図に書かれている川、道路、地名なども描かれる。いま見ている場所がすぐにわかるだけでなく、等高線があることによって、地下の立体的なイメージが得られる。

 地質図の作成は、国家的な事業として進められてきた。世界各国には「地質調査所」(Geological Survey)と名づけられた機関があり、継続的に実施されている。日本では、一八八二年に創立された地質調査所と、現在これを引き継いだ産業技術総合研究所が行っている。日本最古の地質図は一八九〇年に作られた。

 地質図には非常に多くの情報が盛りこまれている。社会からのニーズに従って、地質図の内容が若干変えられることもある。しかし、基本的要素は時代を超えて変化するものではない。使用者の便を図って、表現項目が増えたり、表示のしかたが変わったりする。

 日本の例では、戦前と戦時中の地質図では、鉱産資源に関する記述が多かった。有用金属を多く含む鉱物の探査に、地質図は不可欠である。銅・鉛・亜鉛などの金属鉱業は、明治時代の日本を牽引する重要な産業であった。そのため鉱山開発に対応した地質図が作られたのである。

 一九七〇年代に入って、都市を直撃する可能性のある地震防災のために、活断層を詳しく記述する地質図が作成された。この他に、火山噴火などの特定の現象を対象として作られる地質図もある。近年は、地域防災に必要な特殊な用途の地質図が優先的に作成されている。

 

. 地質図の利用法と地質学

 地質図は、地下がどのような物質からなり、どのような歴史を経てきたのかを表現している。地質図の作成は、自然科学の一部門である地質学という学問をベースにしている。地質学の研究を進める際にも、地質図の作成は非常に重要である。地質学では、フィールドワークから一次データを取得するからである。

 自然科学にはものを正確に記述し、その成り立ちを明らかにする機能がある。地下の情報を記述しその成因を明らかにする地質学の方法論が、地質図の製作にも応用されている。この原理は本書に書かれているとおりだが、地質学上の考えかた(概念)の進歩は、地質図の描きかたも変えてきた。地質学と地質図は、ともに進化してきたといってもよい。

 科学には単に現象を記述するだけでなく、将来を予測し制御するという性格がある。このため、地質図を作成しておくと、ある土地の将来について予測することが可能である。たとえば、地質図に描かれている活断層は、いずれ地震が発生することを示している。火山の噴火口があれば、何百年か何千年後に再びマグマを噴出する可能性がある。

 地質図にはさまざまな使い途[ルビ:みち]がある。上記のような理学的な地質図の使用法とは別に、産業に直接貢献する工学的な利用法がある。時代が下るにつれ、本書に描かれた用途以外にも、多岐にわたる使用法がなされるようになった。

 石炭、石油、天然ガスなど化石エネルギー資源の探査のために、精密な地質図が作成されてきた。日本では、セメント原料としての石灰岩を採掘する際に、地質図が使われる。窯業に必要な粘土の探査も同様である。あまり知られていないが、建設資材としての骨材・石材の採掘にも、地質図が活用されている。

 イタリアやニュージーランドなどの火山国では、地質図は地熱開発に利用される。日本では温泉の探査に使われることも多い。さらに、工業用水、農業用水、都市生活用水を確保するためにも地質図が用いられる。現在では、地質図の用途は多方面に発展している。

  現在もっとも地質図が利用されているのは、国土防災の分野である。世界有数の変動帯にある日本列島では、地盤の条件を反映した災害が起きている。活断層や地すべりの情報は、地震災害や気象災害を防ぐために重要である。また、火山の噴火に対処するために、噴出物の分布や年代などの情報が、地質図に盛りこまれている。これらは自然災害を最小限に防ぐための基礎資料となっている。

 地質図は、大規模な建築物や道路をつくる際にも用いられる。生活に有害な放射性廃棄物を地中に埋積するためにも、基盤岩の地質図が利用される。また、都市圏における地盤沈下の防止にも参照される。最近では、地質図に書かれた活断層の情報が、土地の評価額にかかわることもある。

 地質図は、理学的工学的いずれの面でも、地盤の情報を与える国土基本図としての役割をもっている。本書にもあるように、地質図は人類の所有する知的基盤の一つである。その意味で、ウィリアム・スミスの業績は不滅であるといっても過言ではない。

 

. 地質図と人生

 「この地図はとても美しい」(一〇ページ)と書かれているように、地質図は知的であるだけでなく、実に華やかなものである。しかし、その製作には途方もない時間と労力がかかる。地質図をつくるために半生を費やして野山を歩く研究者が、現在でもたくさんいる。私もその一人である。

 本書の最後にはこう書かれている。

 「ウィリアム・スミスがたった一人で作りあげたあの地図。それは人生の一五年を費やした−本当をいえば、人生のすべてを賭けた−情熱の証である。」(三三七ページ)

 ここを読んで、私は思わず膝[ルビ:ひざ]をたたいた。私もまったく同じであった。縮尺五万分の一の地質図を一枚つくるために、一五年間も没頭していたのである。

 大分・熊本県境の宮原[ルビ:みやのはる]地域にあるすべての尾根みち、沢一本にいたるまで、私は歩きまわった。来る日も来る日も地層を観察しながら、隅々まで歩いて地質図に色を塗っていく。コツコツと手作業をくり返す職人のような日々であった。

 かつて、私はこう書いたことがある。

 「結局、宮原図幅を一枚作るのに一五年もかかってしまった。(中略)地質図は今でも私の研究室の廊下に張ってある。なにせ青春(?)の一五年間も、これにかけてしまったのである。」(『火山はすごい』PHP新書、二〇〇二)

 地質調査では、自らの五官を用いて作業する部分が多い。地層や堆積物を、まず肉眼で観察する。岩石を手にとって調べるだけでなく、まわりの地形についても広く観察する。時には先輩の地質学者と一緒に歩きながら教わることもある。晩はテントか宿に泊まって、酒でも酌み交わしながら、昼間観察したことについてあれこれ話しあう。

 歩くにしたがって、次第に目も肥えていく。過去の地質の情景が浮かんでくるようになると、野外調査にやみつきになる。人生をかけて山歩きに没頭する。その集大成が一枚の地質図なのである。

  本書にはこう書かれている。

 「房飾りのついた紐を引いてカーテンが開くのを見ることができれば、その下には彼の最大の記念碑がある。」(三〇五ページ)

 スミスが地質図を出版したのは、四六歳の時であった。地質図の作成は研究者にとって一生の仕事である。私が宮原図幅を出版した年齢は四一歳である。研究室の廊下に張ってある一枚の地質図は、私にとっても生涯の記念碑である。スミスの成し遂げた事業と波瀾万丈の人生は、私にはたいへん感慨深いものだった。

 本書の読者も、イギリスにあるウィリアム・スミスの地質図を、ぜひ見に行っていただきたいと思う。

 

 

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