あとがき−大学生活の反省−







 総合人間学部に入ってまず不満に思ったのは,一定の「専門分野」に分属することが義務づけられること,そして,専門分野ごとの講座が互いに閉鎖的で,教員同士の異分野交流があまりにも少ないということであった.あるいはただ教員の皆さんが忙しいだけなのかもしれない.しかし,何かに対して「忙しいから時間を割く余裕がない」ということは,その「何か」をそれほど重要に思っていないということである.したがって教員の皆さんは,総合人間学部設立の趣旨である,「学問分野の枠組みを超えた学際的な研究と人材育成」という目的をそれほど重要には思っていない,ということになる.

 あるいは,自分の専門以外の人と話をするのが嫌なのかもしれない.自分の研究について初心者に説明をすることができないのかもしれない.どうして自分はその分野で研究をしているのか,それは他の分野とどのような関係にあって,どれくらいおもしろいものであるか,自分でも分かっていないのだ.

 だからといって,別にそれが悪いということにはならない.一番の問題は,そうした現状を変えようとしていないことだ.4年間,特定分野の教員と生徒の接触する機会はあったが,まったく別の分野に属する複数の教員と生徒が,同時に顔を合わせて話をする機会など存在したことがなかった.せいぜい,数学やら生物といった分野ごとの教官が集まってひらく「ガイダンス」程度である.その程度でも十分に「学際的」かつ「総合的」であるといえばそれまでであるが,僕が求めていたのはもちろんそのようなものではなかった.多くの教員と学生が顔を合わせ,迫真の議論をする.異分野であろうとなかろうと,どんどん交流してそのなかで学生は自分なりの興味の中心を見つけていく.それは現在の専門分野の枠には当てはまらないことがほとんどだろう.だから,自分の「専攻名」を選択肢から選んだり,「所属講座」を1年や2年大学にいるだけで決定する,といったこと自体ナンセンスで,そうした「分類」を放棄することから新しいものが生まれてくるはずだ.僕が総合人間学部に求めていたものは,大体そんなイメージだった.しかし,実際のカリキュラムは,いうまでもなく,まったくもって保守的なものだった.

 だけれど,本当に僕を失望させたのは,ほとんどの学生がそういった現状にあまり不満を持っていないように見えたことだった.別にそんなことはどうでもいいやというように要領よく単位をとり,就職活動をして卒業していく.でも,多分彼らも忙しすぎるのだ.サークル活動やらアルバイトやらほしいバイクや靴なんかのことで頭が一杯なのだ.

 忙しいということはとてもよくないことだと思う.忙しいとだれも考えない.大切なことは何もすることがないときに考えつくものだ.なのに,たいていの学生は予定を埋めたがる.大学生はひまであることが許されている唯一つの時期なのに,予定を一杯に詰めて考えることを放棄する.一体彼らは何を目指しているのだろうか.

 でも,これは日本の社会全体に当てはまることかもしれない.こんなに忙しくて,他人のことを考える暇もなくて,予定がびっしりと詰まっている.自分と世界との関係について不安になることもない.茫漠とした宇宙空間と,過去・現在・未来にわたる悠久の時の流れの中で,今ここに自分がいるということの意味は何なのか?そこにどのような歴史的必然性がありうるのか?京都市・関西・日本・アジアそして世界全体のなかに,どのような人のつながりの中で,あるいは生き物たちや地球との関係の中で,自分は生きているのか?そうしたことに思いを巡らす時間は彼らにはない.でも,本当に大切なのはそうしたことを考えること,そして,自分が今ここに生きていることの意味を感じることだ.

 科学や学問,仕事といったすべては,このために存在するのだと僕は思う.この,とてつもなく広い世界と自分との間の距離,そして自分の仕事の存在価値,を時には考える.環境問題や南北問題も,そうしたレベルでとらえない限り本当の意味で自分の問題になることはない.また,どんなに厳密な実験を行っても,どんなに完ぺきな理論を考え出したとしても,世界と自分との距離感の中でその意味を見いだせないのならば,それは自分の人生にとって真に価値のあるものではないだろう.


 とはいうものの,現実にはやはり僕も多くの予定をかかえ,毎日忙しく走り回ることになる.実際この1年は,本論文を仕上げるためにほとんど余裕のない日々を送ることになった.そしてその間は,大学に入学した当初のようにまともにものを考えることもほとんどなくなってしまった.忙しいことを批判していてこういうことを書くと自己矛盾に陥ってしまうのだが,でも事実は事実である.これから社会に出て,さらに多くの予定を抱え,さらに速く走り回らなければならないかもしれないと考えるととても怖くなる.背筋が寒くなるほどだ.いつか僕は世の中と自分との間にいつのまにかでき上がってしまった深い溝に気づき,きっとひどく混乱することになるだろう.

 でも,1回生から2回生にかけてのあの輝かしく暇な日々を,僕は一生誇りに思う.そして,どれほど忙殺されて毎日をすごしているとしても,無為の日々に得た経験と残存記憶にしたがって日々を生きていくことはできる.そうでなければ,少なくとも僕にとって,この高度資本主義社会の中に救いはないだろう.もちろん,こうした考え方は一般的なものではないかもしれない.でも,今の日本は本当に異常な社会なのだ.僕は高校時代,インドネシアでの1年間の留学を終えて帰国したときに,そのことを直感した.我々の周りでは,まるで「モモ」の世界のように,誰もがいつも忙しく,そして少しいらだっている.

 これは総合人間学部へ提出する卒業論文である.だから,僕たちの後に入ってくる学生の目に触れることもあるかも知れない.そこで,ともにこれからの日本を作っていく仲間として,一つだけ助言したい.

     ひまな学生生活を送りなさい.

−以上−

1997.1.31